おうしゅうひっとう どくがんりゅうまさむね

  

  
 名僧・虎哉宗乙禅師の「不動明王は外は剛だが内は慈悲を備えた優しい仏」との説明に「梵天丸(政宗幼名)も、かくありたい」とつぶやいた。
 「強き力を以て悪を砕き、民を護る不動明王のようにありたい」左眼半眼の不動明王と病気で隻眼になった自分を重ね合わせ、自分もこうありたいと心に誓ったという。
 天正十七年(一五八九)、昇り竜のごとく、金色の細い三日月の前立兜に黒漆の甲冑、北斗七星を入れた軍配を手に、騎馬鉄砲隊の前線に立ち、速さと破壊力を兼ね備えた戦法で奥州筆頭「独眼竜政宗」の異名を天下に響かせた。
 豊臣秀吉、徳川家康の天下人が、認めながらも恐れた奥州の羅王「伊達政宗」は、絶体絶命の窮地を並外れた知恵と度胸で乗り越えた、戦国時代を代表する武将の一人です。
前へ 戻る 次へ