へいしろうとちぞめのげた

  

  
 一面の銀世界。ここ常陸の国真壁にしては珍しい大雪である。
 草履取り平四郎は、懐で温めた下駄を尻に敷いたと勘違いされ額を蹴られた。
 額から鮮血が滴り落ち、下駄は血に染まった。その下駄を懐中にしまい、真壁を後にして京都に出た。平四郎は、かつての主君を見返す為、建仁寺の門を叩いた。
 草履取りの男が、大名に復讐する方法はただ一つ、高僧大徳となり見返すしかなかった。
 やがて師の坊を凌ぐまでになった平四郎からは復讐心は消え失せ、悟道追求の一念だけになり“性西禅師”の法号を賜るまでになった。
 名声と賛辞の中、かつての主君、真壁経明との対面を果たした時、血で赤黒く染まった下駄を見せ、一時は恨んだけれどそのおかげで発奮できたと感謝の気持ちを告げた。
 のちに“法身国師”の尊号を賜り、青森県上北郡の草庵で八十五歳の生涯を閉じた。
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