てんじんすがわらのみちざね
 
  
 代々学者の家系に生まれた菅原道真は、異例の昇進を遂げ右大臣まで上り詰めた。しかし、それが仇となって左大臣の藤原時平と醍醐天皇の策略により、九百壱年大宰府に左遷され、無念の死を遂げる。
 道真の死後、京の都では天変地変が続き、日照りや疫病がはやり、きわめつけは宮廷の紫宸殿への落雷で多くの死傷者が出た。そのため、人々は道真の祟りと恐れ、道真の怨霊は雷神と結びつけられるようになり、これを鎮めるために、北野天満宮が創られ、道真が火雷天神として祀られた。
 その後、天神を祀る神社は各地に広まり、生前優れた学者でもあった道真は、学問の神様とあがめられるようになった。
 道真を讒言した藤原時平は、道真の祟りで蛇に魂を吸い取られて亡くなったという逸話もあり、道真の怨霊は恐れられた。
 ねぶたは、藤原時平が道具の怨霊と対峙している場面を表わしたものである。
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