斧懸の松 斧懸の松    2004.1.2

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 正月2日だというのに南面、神社の周りには雪がなく、わずかに北の斜面にクリスマス以降に降った雪が残っているだけで、ひっそりとしていて午前中にお参りに来た人の気配がわずかに残るだけだった。
玉熊靖司さんのまとめた資料によると神社の創建は大変古く801年坂上田村麿が建てたといわれ、ずっと後に菅江真澄の「津軽遊覧記」(1796〜1800)の中に 駒込を昼に発ち、路をわずかに行くと戸山という村があって,斧懸明神というのがあった。斧懸の松というのが神社の傍らに立って、昔、きこりが宮木を切り出すときに、まず斧に御幣を取り添えて掛け、祭ったという。記述が残っていてここで和歌を詠んでいる。
  「花の木を くだすもうしと山賤(ヤマガツ)の とらでやしばし 斧懸の松」
  (ちょうど伐り頃の山の木を伐って利用したいとき、地元の人たちは、斧懸の松を拝んでから山に行って仕事をしている)

※山に木を伐りに入る者は、境内の老松に祈りを込めて、斧の形に枝を払った木を放り投げ、見事に引っかかったものだけが山に入ることを許された。

※むかし、まだ青森平野が海であった頃、漁師たちは斧懸神社の老松をはるか沖合いから寄港の目印にしていた。

※老松に、天高く枝を放り投げて、嫁とり、婿とりの占いや自分の吉凶を占っていた。

※津軽藩から来た砥石取りの人夫たちが、一夜にして行方不明になることが何度も続いたので、山の神の怒りにふれ「神かくし」にあったものと思い、山の神をなだめるために斧懸神社を創建したという説もある。(津軽藩の者に、隠れ住み家を発見とされるのを恐れた浪岡・玉熊の一族の仕業ともいわれている)